1981年の夏に全てが始まった。父は私を今はもう姿を消した映画館に連れて行ってくれた。私はまだ3歳で、そこではじめて映画をいうものを体験した。最後まで映画を楽しんではいたけれど、突然最後のリールでその世界から切り離され、周りにいた人々の表情や、映画の場面に対する感情的な反応などを眺めはじめたのだ。その時、映像が持つ力というものに気がついたのだった。それは、不確かなものではあったが、その気づきは私に影響を及ぼしたのだった。その夜、いまでも思い出すことが出来る夢を、はじめて見た。
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両親の洋服ダンスの中にあったヤシカのカメラを見つけたのは、15歳のときだった。ロールフィルムを買い、家の近くの川辺へ向かって、そこでカメラを試してみた。その日までは、テレビで放映されていた沢山の映画を徹底的に見ていたし、録画したものもあったので、私はそれを頻繁に研究していた。 その日以来、自分自身へのチャレンジがはじまった。そしてそのロールフィルムは、その後3年間で撮影することになる多くのフィルムの第1号となった。その頃自分の心の中にあったものを表現できるような、新しい映像を見つけ出したくて、自分が持つ創造性をどんどん引き出していくことに夢中だった。そのうちのいくつかのフイルムは壊され、いくつかは見ることが出来ず、いくつかは単にばかげていて、いまだに興味をそそるような映像の断片もある。そんなフイルムから、いろいろな意味で私は多くを学んだ。
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本来自分が求める道へと引き返す前に、私は経済学とジャーナリズムを学び、ショートフィルムを35ミリで撮影し始めた。その後2年間は、映画とビデオ作品の間にある境界を探究した。過度の自己開示の結果、私は完璧な空虚さを感じていた。元の場所への戻りかたのヒントもないままに、本当に遠くへ来てしまった、という感覚だった。
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友人の一人で写真家のRaimon Estradaから写真に挑戦してみてはどうか、と勧められたことが全ての始まりだった。何年か前に、古いテクニカラー映画のまねをして、カラースライドフィルムを少し試したことはあったけれど、それまで写真をはじめるには至らなかった。その独特の性質で隠れた部分にひそむ感触を引き出せるという点で、やはり白黒写真を選んだ。マミヤ RB 67でテスト撮影を行い、感情、アイディア、ストーリーを伝えられるような新しい方法を探し出していった。その結果できたものが、シーケンシャル・フォトグラフィのシリーズ「Déjà vie」であり、多重露出、フォトグラム、多重のレイヤリング、オーバーヘッドプロジェクション、光学的なマニピュレーション、そして写真画像を物理的に変化させて独特のものを作り出せるようなすべての方法を使用して、私は静止映像の限界を超えた範囲にまで、その追及を試みた。
Déjà vie」‐シーケンシャル・フォトグラフィのシリーズ。
オーバーヘッドプロジェクション、多重露出、光学的なマニピュレーション、フォトグラムなどの技術、そしてその他の方法を利用し写真画像をユニークに変化させます。
現像液による処理・拡大、各シリーズにつき一枚のみのオリジナルプリント、サイズ:11.5 インチx 14.5 インチ、シルバーゼラチンプリント。